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シミズは100年企業?

#シミズスタッフ通信    スタッフ  2022/12/10

みんなの知らないシミズの歴史 part1

実はシミズは100年以上続く企業だった。

多くの方がご存知かもしれませんが、フォトスタジオシミズはもともと写真館ではありませんでした。

写真館が始まったのは1980年代のこと。それまでは日用品を取り揃える「なんでも屋」でした。

しかし、実はこの「なんでも屋」の歴史は思うより長く、その始まりは今から100年以上も前のお話になります。今回のエピソードでは、そんな昔話から、シミズの始まりと、シミズが大阪市内から富田林へ引っ越してきた経緯について紐解いて行きます。

シミズ「なんでも屋」の歴史

遡ること1世紀前の1900年代初頭(もしくは1800年代後半かもしれません)、大阪の浪速区に住んでいた清水音吉(オトキチ)は、化粧品や髪飾りなどを取り扱う「小間物屋」を営んでおりました。当時は、都会に店があったこともあり、大阪のハイカラな若い女性や芸者さんたちがよくご利用されていたと聞いております。さらに1900年代初頭といえば明治時代最盛期。大阪の街も文明開花の影響を強く受けていた時代です。そんな時代に商売を営んでいた音吉は、綺麗好きで、神経質な性格(怒りん坊とも言えます)だったそうです。やがて音吉はキワと結婚し、1910年に長男の清水猛夫(タケオ)を授かります。この猛夫が、今のシミズの基礎を築いた、今回のエピソードの主人公です。

シミズ2代目 清水猛夫

猛夫は勉強熱心で、特に英語が好きな青年に育ちました(この英語好きは衰えることなく、最後に死を迎える100歳まで英語が達者な男でありました)。戦前の日本(景気も良かった頃)に育った猛夫は、大好きで得意だった英語を生かして外交官になることを志しておりましたが、商店を営む家の長男として生まれた境遇から猛反対を受け、外交官を諦め、当時あった化粧品メーカー「平尾賛平(ヒラオサンペイ)商店」に就職します(ちなみに、平尾賛平商店は戦後に廃業しています)。

猛夫が後を継ぐ

しかし、サラリーマン生活に励んでいた猛夫に転機が訪れたのは戦前最後のころ、当時小間物屋とお米屋を営んでいた父の音吉が脳内出血で逝去した時でした。後日談ですが、音吉の神経質な性格が、脳内出血の原因だったと家族内では代々受け継がれ、音吉の孫である隆夫(タカオ)も神経質な性格から40代前半で脳内出血で倒れてしまいました(が、今回は医療の進歩のおかげでなんとか生き延びることができました)。

父が急死してしまった猛夫は、お店を潰すわけにもいかず、化粧品メーカーを退社し浪速区の小間物屋を引き継ぎます。ここで引き継いでいなければ今のシミズはありませんので、猛夫にとっても、子孫にとっても英明な決断でした。英語を職業にできなかった彼の人生は少し可哀想ではありますが、彼の英語への思いはひ孫たちがちゃんと引き継いでいます(どうやらこの家庭は隔世的に何かを引き継ぐようであります)。

話が逸れましたが、小間物屋を引き継ぎ、商売に励む猛夫は、お見合いで、当時富田林市の錦織で材木屋を営んでいた家系の娘「あやこ」と結婚します。これがシミズと富田林の物語の始まりです。

猛夫の妻 あやこと富田林

あやこは、大変裕福な(お手伝いさんがいるような)家庭でのんびりと育ったお嬢様でした。どうしてこの2人がお見合いをすることになったのかは定かではありませんが、もう80年も以上の前の話なのでみなさまのご想像にお任せします。ひょっとすると裕福な家庭なので、大阪の街へ出た際に化粧品の販売を通して知り合っていたのか、それとも共通の知人がいたのか、ひょっとすると商売の勉強会などで知り合った縁なのかもしれません。いづれにせよ、裕福なのんびり少女が、「the オオサカ」な商売家庭に嫁いだことは確かです。

そんなあやこにとって、大阪の商売の中心地でせかせかと働く環境はあまりに体に合いませんでした

(この傾向も家族代々引き継がれ、猛夫の息子の隆夫ものんびりとした初代と結婚し、初代は苦労します)。そのせいか頻繁に体を壊し、入退院を繰り返すようになります。そしてそんな中、第二次世界大戦が本格化、猛夫は戦争には行かずに済んだものの、大阪大空襲(終戦間近の出来事です)でお店は焼けてしまいます。空襲で大阪が焼けてしまうと、多くの都会人が田舎へ引っ越したように、猛夫は妻の地元である富田林の錦織に引っ越すこととなりました。

シミズの富田林出店

錦織に引っ越してきた猛夫は、もう一度商売を立て直すために富田林で良い物件を探します。戦後のことでしたが、富田林は比較的田舎でしたので浪速区に比べれば戦争の影響は少なかったのであろうと思います。そんな物件を探していた猛夫が見つけたのが、「滝谷不動」駅の出口の目の前にあった小さな二階建ての貸家でした。

ここから、猛夫は富田林の地で再スタートし、「清水龍華堂」が近鉄「滝谷不動」駅前にオープンします。

この続きは次のエピソードにて。

 

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